真空パックとスピーカー

久石ソナ @sona_hisa は日常と作品の中に住む準備をしています。

東京に住むということ

昭和から続く人形町のお好み焼き屋で会計を済ませた時、女将さんから「持っていきなさい」と言われてアイスシューを渡された。

東京の冬は北海道よりも寒く感じる。そんなことを道民出身者は常々感じるらしく、私もそう感じる。

アイスシューを食べながら夜道を歩き、コンビニでお酒を買ってホテルへ戻る。今は東京に部屋を借りている。なので、自分の住む街でホテルに泊まるのは、なんだか不思議な気分だ。とくにホテルに泊まる必要があったわけでもなければ、そのホテルの朝食が食べたかったわけでもない。ましてや、ラブホテルで恋人と夜を食すわけでもない。どこにでもありそうなビジネスホテルに泊まり、東京の一夜を見届けようではないか、という心持ちであった。

実家の札幌でホテルに泊まったことは二度ある。一度目は北海道旅行に来た友達とホテル泊をしたこと。二度目は道新文学賞の授賞式の日に用意してくれたホテルである。ホテルに泊まると私は、この街に迎え入れられている、というような気持ちになる。

東京にホテルを用意したのは自発的なことで、予約サイトで手頃なホテルを探してクリックしただけであった。

私は、東京に住んでいるという自覚が足りないのかもしれない。雪道にできる足跡を見て、私はここに存在するんだ、という明確な証拠が東京にはなかなか生まれない。東京で私の骨を埋めようという気持ちはさらさらない。

ホテルからの夜景はあまりにも眩しくて、そうかだからカーテンはこんなにも厚いのか、と気付かされる。旅人にはその街の喧騒(それはあらゆる言葉の集合体である)を見せないのか、と知らされる。

何かを告げられたような気がする。それが何なのかは自分で探せ、とも告げられている。